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-経緯-
太平洋戦争直前の、昭和16年8月18日静岡県浜松市で中村誠策(当時18歳/推定)は、強盗と強姦目的で芸妓屋に侵入し2人を刺殺した。更に翌19日には料理屋で3人を刺殺した。

犯行から1ヵ月後の9月27日、中村は自宅で就寝中の兄を刺殺。父親と姉、兄の妻とその子供の4人に重軽傷を負わせた。この犯行は、外部からの侵入者が強盗殺人を働いたとみせかける偽装をしたため、警察は中村を疑うことは無かった。

この年の12月8日、日本はハワイの真珠湾を奇襲攻撃して太平洋戦争が勃発。中村は、その翌年の昭和17年8月25日にも強盗強姦目的で3人を殺害して、僅か1年余りで9人を殺害し4人に重軽傷を負わせた。

この事件の捜査をしたのが、戦後になって無実の人を死刑台に送り込もうとして有名になった゛名刑事゛紅林(くればやし)麻雄刑事だった(幸浦事件、二俣事件、小島事件、島田事件)。さすがに、本件では中村が真犯人として逮捕。取り調べでは、素直に犯行を自供した。

-動機-
中村は、両親と7人兄弟の6男として出生。生まれつきの聴覚障害者で簡単な言葉しか発音ができなかった。このため、家族からは厄介者として冷たく扱われていた。だが、彼の知能水準は高く、ろうあ学校では常に主席だった。

犯行の動機は、兄殺害に関しては家族が冷たい態度に対して恨んでの犯行と言われているが、実際には「丹下作善のように人を刺してみたかった」などと供述している。また、芸妓屋や料理屋の犯行については、「人を殺害すると爽快になり、よく寝られた」と供述。このため、警察は精神科医の内村教授らに鑑定を依頼したところ、確かに知能は高いものの、人に対する思いやりや憐憫の情などが欠如しており、人間としての基本的な感情も育っておらず心身衰弱症と診断された。

だが、時は戦時下。静岡地裁浜松支部は、中村を難聴者(所謂、ろうあ者ではなく)と認定し審議した。更には、戦時刑事特別法により審議は二審までで、結局昭和19年に中村の死刑が確定した。判決後、間もなく死刑執行となった。

-余談-
中村の自供では、昭和13年にも、強盗強姦目的で女性を2人殺害している。これが真実だとすると、中村は11人殺しの殺人犯ということになる。また、9人殺しでも大事件であるが、戦時下のため新聞の片隅に僅か数行が報じられただけなので、現在に至るまで詳細は不明の部分が多い。尚、中村の父親は、逮捕直後に川に投身自殺している。
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